-その命、見捨てますか?-
《インチキ遺骨ではなくて、秋田美輪さんを返せ!吉見美保さん国連スピーチ全文》
すでに報道されているように5月10日、菅 義偉官房長官兼拉致問題担当大臣も参加してニューヨークの国連本部で開催された日本政府主催のシンポジウムには特定失踪者家族会から幹事で秋田美輪さんのお姉さん、吉見美保さんが参加しました。
以下、吉見さんのスピーチをお知らせします。この音声は後日「しおかぜ」でも北朝鮮に向けて放送されます。
[以下、スピーチ全文]
国連でのシンポジウムへお招きいただきありがとうございます。私は特定失踪者・秋田美輪の姉・吉見美保と申します。
特定失踪者とは北朝鮮による拉致の可能性の排除できない失踪者のことです。1997年2月、ここにいらっしゃる横田拓也さんの姉・めぐみさんが拉致されていることが国会の質問と報道によって明らかになりました。それがきっかけとなって救出のための国民運動が始まり、2002年9月に訪朝した小泉総理に当時の金正日(キム・ジョンイル)労働党総書記が拉致を認めるに至りました。めぐみさんについて北朝鮮は死亡したとの嘘の情報を伝えてきましたが、一方で5人の拉致被害者を帰国させました。
その中に日本政府が拉致と思っていなかった曽我ひとみさんがいたため、原因不明の失踪者をかかえる多くのご家族から「私の家族も北朝鮮に拉致されたのではないか?」との声が上がりました。2003年にそれらの失踪者を調査するための民間団体、特定失踪者問題調査会が設立されましたが、現在同会にある特定失踪者のリストは約470人に上ります。さらに日本警察は特定失踪者の数を約900人と発表しています。
特定失踪者の事件を調べて行くと偶然とはいえない共通点が浮かび上がってきます。
・埼玉県川口市や神戸市灘区のように同じ地域に関係した多数の失踪者がいる。
・1960年代には中学生や高校生が多く、1970年代にはカップルや親子での失踪が多い。
・1980年代中頃と1990年代初めに全国で不審な若い女性の失踪が集中する。
・職業的には看護師や衣服関係、電話に関わる仕事をしていた人の失踪者が多い。
これは一部にすぎませんが、場所も時間も異なる失踪者に不思議な共通点があるのです。そしてそれらの中には北朝鮮での目撃情報や写真が出てきた人も少なくありません。
私達特定失踪者の家族の願いは、「北朝鮮にいる家族を取り戻したい」それだけです。そのためにニューヨークまで参りました。どうぞ、北朝鮮に今も救いを求めて待っている拉致被害者の一例として私の妹の話を聞いてください。
私の妹は1985年12月4日13時ころ、通っていた兵庫県神戸市にある大学の門前で友人と別れてから、行方不明です。21歳でした。12月5日朝8時に家に警察から電話が入り、同じ兵庫県ですが、180km離れた日本海側の海岸で靴と鞄が見つかったと連絡がありました。妹はこの海岸へ行った事はありません。ここは、当時地元の人しか知らない浜でした。
3日間、警察、海上保安庁、地元の漁師の方々が船を出して下さり、ダイバーもCの字形の湾内を潜って遺体を探しましたが、見つかりませんでした。その入江では、入水自殺した人がいても、遺体が外海へ出るまでには、半年かかると地元の方達は当時おっしゃいました。
捜索は打ち切られ、新聞には「自殺か?」と報じられました。
しかしながら、この弁天浜へ行くための大阪からの急行券が浜で見つかった鞄に残されていましたが、ひとつ手前の急行停車駅までの券でした。距離が足りません。また、靴と鞄は発見された時濡れていませんでしたが、12月5日の早朝には雨が降っていたのです。
この3つの事実は、本人がそこに行ったのではなく何者かによって、捜査の撹乱のため作為的に靴と鞄が浜に置かれていた可能性を示しています。同様の捜査の撹乱と思われる事件は特定失踪者で多数起きています。特定失踪者問題調査会では美輪を拉致の可能性の高い失踪者としており、私達家族はきっと北朝鮮で生きている、と信じています。
妹は、読書と料理の好きな女の子でした。机の周りには、アンデルセン大賞をとった児童文学や、日本の古典がおかれ、母の持っていた料理本の目的の料理のレシピが載っているページを覚えているくらい料理も好きでした。北朝鮮には何の関係もなく、興味を持っていたわけでもありません。自ら望んで北朝鮮へ行くとも思えません。先程述べた偽装工作から考えて無理矢理北朝鮮に連れていかれたとしか考えられません。
もう13年前になりますが、父は北朝鮮へ向けた短波放送「しおかぜ」の最初の録音で以下のように訴えています。
[以下、しおかぜ録音]
美輪ちゃん、貴女は今どこにいるの?私はお父さんだよ。秋田正一郎だよ。
急にいなくなってびっくりしています。もう20年になりますね。
お母さんも始めは何があったのかと放心状態でしたが、いまは何とか元気で私と一緒に貴女といつ会えるかと首を長くして待っています。早く貴女のコーヒーを飲みたい。
1985年12月4日の夜川西の家でお母さんが貴女からの電話で「今晩、Kさんのところで泊まる」との声を聞いています。そして翌12月5日朝、貴女の靴とバッグが竹野町の弁天浜海岸で発見され、バッグの中から大阪駅発行の150kmまでの急行券と貴女の学生証等が発見されています。Kさんは「12月4日昼1時ごろ学校の校門付近で美輪さんと別れてから一度も会っていません」と言っております。私たち両親には何が何だかわからないのです。
もし返事をもらえるなら居場所だけでも、また元気かどうかも教えてください。待っています。
このメッセージは、ここへ来る事の出来ない特定失踪者の親世代全員の気持ちです。
とはいえ、特定失踪者の親は、いなくなった子供を思い、日本が子供を取り返してくれると信じながら、年月とともに亡くなられています。特定失踪者のご家族にお会いするたび、今も北朝鮮に残された拉致被害者だけでなく、日本にいる多くのご家族の生活を変えてしまった拉致に憤りを覚えます。
現在の父は認知症を患い、人との会話さえ難しくなりました。妹に会っても分かるでしょうか。父は今年3月87歳になりました。母もあと数日で85歳になります。両親が生きているうちに妹が日本へ帰国し、両親と会えたら、両親はどんなに喜ぶ事でしょう。
日本が拉致された日本人を取り戻すため、各国の皆様のご協力をさらに続けていただけますようにお願い致します。
2019年5月10日
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/■吉見美保さんfacebook
https://facebook.com/profile.php?id=100011647367180&fref=nf&pn_ref=story■有本恵子さんのご家族のメッセージ
http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_8.html■有本恵子さんのご家族のメッセージ(英語版)
http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_8en.html■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html■救う会兵庫facebook
http://www.facebook.com/sukuukai078■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/■北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/■No Fence北朝鮮の強制収容所をなくすアクションの会HP
http://www.nofence.jp/■北朝鮮人権人道ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015■自由朝鮮HP
http://cheollimacivildefense.org/■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」
https://youtu.be/QBJcDDGwdFo■アメリカ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP
https://www.hrnk.org/■VOA拉致問題動画
https://youtu.be/o2i_u8y8GJM■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。
<原文>
『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』
https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx<日本語訳>
『北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』
https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」
http://kenkato.blog.jp/ ■ベナTVHP
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https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be■脱北者トーク番組動画
https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be■脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)
https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be■脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)
https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be■脱北者・金柱聖さんの動画(3)
https://youtu.be/pMC2G7akiiM■ベナTV(日本語版)
https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo■ベナTV(日本語版)動画
https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be■ベナTV(日本語版)動画
https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8■ベナTV脱北者日本語字幕版
https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl《特定失踪者・秋田美輪さんについて》
◆氏名:秋田 美輪
(あきたみわ)
(Miwa Akita)
◆失踪年月日:昭和60(1985)年12月4日
◆生年月日:昭和39(1964)年1月29日
◆性別:女性
◆当時の年齢:21歳
◆当時の住所:兵庫県川西市湯山台
◆当時の身分:神戸松陰女子大学文学部国文科4回生
◆身長:155cm
◆体重:43kg
◆特徴:両眼とも眼鏡をかけて視力1.2
◆失踪場所:兵庫県神戸市神戸松陰女子大学校門(阪急神戸線六甲)
【失踪状況】
大学で午前の授業を受けた後、1時過ぎに学食で友人と食事をとり校門近くで友人と別れた。
夜8時過ぎに「友人宅へ泊まる」との電話が家にある(実際には泊まっていない)。
翌日朝8時15分兵庫県警城之崎署から竹野町弁天浜で本人のバッグ発見との連絡。
当時は自殺とされたが、何も見つかっていない。
バックの置いてあったところから海岸に10メートル位足跡があった。
発見される前に雨が降ったがバックも近くにあった本人の靴も濡れていなかったという。
地形や潮の流れから入水自殺であれば遺体が上がるはず。
竹野浜、竹野駅、城崎駅で目撃者がいなかった。
平成15年11月13日、兵庫県警に告発状提出。
秋田美輪さんをただ単に行方不明者とするには、あまりにも不自然ないくつかの疑問点が残されている。
まず、残された美輪さんのバッグの中には急行券があった。
この急行券の使用距離範囲は大阪駅から150km。これではせいぜい城之崎までしか行けず、弁天浜までは30km程度足りない。
この急行券は、当時の改札口を通過したことを示す入挟・押印が無く、未使用のままだった。また、財布の中には定期代の1万8千円がそのまま残っていた。
そして、神戸松蔭女子学院大学内の美輪さんのロッカーの中から、失踪日の数日後に提出することになっていたレポートが発見される。
これらは状況証拠に過ぎないが、それでも単なる行方不明者として考えるには疑問を持たざるを得ない。さらに、美輪さんが行方不明になった前後、現場付近の浜辺でスーツ姿の男が無線機のような機器を使って朝鮮語で交信していたことが『産経新聞』の記事で明らかになっている。
この男は北朝鮮の工作員とみられる。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/■徳島県警HP
http://www.police.pref.tokushima.jp/■愛知県警HP
http://www.pref.aichi.jp/police/■秋田美輪さんの早期帰国を願う会HP
http://save-akitamiwa.com/top.html◆昭和58(1983)年7月頃
欧州における日本人女性拉致容疑事案
被害者:有本恵子さん(Keiko Arimoto)
(拉致被害時23歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州にて失踪。
「よど号」犯人の元妻は、北朝鮮当局と協力して有本さんを拉致したことを認めている。
捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の魚本(旧姓安部)公博について、平成14年9月逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引き渡しを要求しているが北朝鮮側はこれに応じていない。
北朝鮮側は、有本さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で石岡 亨さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html■救う会兵庫facebook
http://www.facebook.com/sukuukai078[In or around July 1983: Japanese woman abducted in Europe]
Abductee: Keiko Arimoto (23, female, Europe)
Disappeared in Europe.
The ex-wife of a Yodo-go member has acknowledged that she abducted Ms. Arimoto in cooperation with North Korean authorities. In September 2002, Japanese authorities issued an arrest warrant for Kimihiro Uomoto (formerly Kimihiro Abe), a Yodo-go member believed to be responsible for the abduction, and listed him with Interpol. The GoJ demands that North Korea extradite him to Japan, but North Korea has shown no willingness to comply.
North Korea asserts that in November 1988 Ms. Arimoto and Mr. Toru Ishioka died in the same gas poisoning accident, but has provided no documents or evidence to support these claims.
◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)
(拉致被害時28歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html■救う会兵庫facebook
http://www.facebook.com/sukuukai078[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]
Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)
Disappeared after departing Japan for Europe.
The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.
Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.
《特定失踪者・金田竜光さんについて》
◆氏名:金田 竜光
(かねだたつみつ)
(Tatsumitsu Kaneda)
※This person was Abduction by North Korea
◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ
◆生年月日:昭和27(1952)年
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木
◆当時の身分:中華料理店「来大」の店員
◆身長:180cm
◆特徴:
1)非常に痩せていた
2)右小鼻から右目にかけて薄いあざ
3)明るく社交的で友人が多かった
◆失踪場所:神戸市東灘区
【失踪状況】
金田さんは韓国籍。
田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。
幼少の折に両親が離婚し、神戸市の児童養護施設に姉と共に預けられる。
昭和43年に同施設を卒園(田中 実さんも同年卒園、ただし田中実さんは高卒で3歳年上)。
昭和52年頃、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営する中華料理店「来大」に勤務。
昭和53年には田中 実さんを「来大」に紹介し、共に働く。
同じ年の6月6日、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。その後半年程して、田中 実さん投函によるオーストリアからの国際郵便を受け取る。
その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。田中 実さんの誘いを受け入れ、打ち合わせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。
連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。
その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。
「救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html■救う会兵庫facebook
http://www.facebook.com/sukuukai078 《特定失踪者・稲田裕次郎さんについて》
◆氏名:稲田 裕次郎
(いなだゆうじろう)
(Yu-jirou Inada)
◆失踪年月日:平成14(2002)年2月25日
◆生年月日:昭和56(1981)年4月26日
◆性別:男
◆当時の年齢:20歳
◆当時の住所:熊本県熊本市帯山
◆当時の身分:熊本学園大学商学部経営学科2年
◆身長:162cm
◆体重:55kg
◆特徴:
1)髪の毛多い
2)水泳が得意
3)考え事をするときに耳を触る癖
4)ある程度パソコンの知識がある
5)関西弁で話すことがある
◆失踪場所:熊本県熊本市の自宅から
【失踪状況】
2月21日「高校水泳部の友人とたまたま会ったので一緒に食事をして帰る」との電話。
夜12時頃帰宅(後に確認したところ元水泳部の友人は誰も会っていないことが判明)。
25日朝9時半頃、自宅にいるのを父親が確認。
夜11時頃バイト先から「無断欠勤している」との電話がある。本人の預金通帳は16日から25日の間に4回に分けてほとんど全額引き出していることが分かる。
大学で出席状況を調べると2001年5月頃からずっと欠席している。
学内のパソコン室はよく利用していたらしく、失踪当日午後6時頃パソコン室の利用カード返却の記録があった。
3月21日夜以来無言電話や不審な電話が何度かかかっている。
■熊本県警HP
http://www.police.pref.kumamoto.jp/ 《特定失踪者・尾崎隆生さんについて》
◆氏名:尾崎 隆生
(おざきたかお)
(Takao Ozaki)
◆失踪年月日:昭和35(1960)年11月3日
◆生年月日:昭和8(1933)年4月28日
◆性別:男
◆当時の年齢:27歳
◆当時の住所:兵庫県神戸市
◆当時の身分:ネクタイ製造会社の経理
◆身長:169cm
◆体重:60kg
◆特徴:左手の指が事故で曲がらないが、手先は器用
◆失踪場所:兵庫県神戸市
【失踪状況】
11月2日、カメラを持って「遊びに行く」と言って神戸市の自宅を出かけたまま戻らず。
翌日、会社から連絡があり、失踪が分かった。
《特定失踪者・加藤小百合さんについて》
◆氏名:加藤 小百合
(かとうさゆり)
(Sayuri Katou)
◆失踪年月日:平成9(1997)年8月18日
◆生年月日:昭和39(1964)年6月5日
◆性別:女性
◆当時の年齢:33歳
◆当時の住所:兵庫県神戸市
◆当時の身分:会社員(経理事務)
◆身長:150cm
◆体重:43kg
◆血液型:AB型
◆特徴:
1)小柄
2)眼鏡かコンタクト使用
3)簿記2級
4)ワープロ・パソコンが得意
5)趣味は音楽でエレクトーンなどキーボードを弾く
6)スポーツはスキーほか何でもこなす
◆失踪場所:兵庫県神戸市
【失踪状況】
自宅をいつもと同じように軽装で出たまま行方不明。
実母が翌日19日に自宅に電話をするも通じないため、会社に連絡をすると無断欠勤をしているというので失踪が判明。
結婚し、子どもが3人いた。
失踪後、ある男性が突然家族のもとに現れ、「8月18日から、1週間ほど自分の家にいた。小百合さんは元気です」と家族に伝えるものの、その経歴などは偽りであり、架空の話ということが判明する。
「北朝鮮にいる」との情報がある。
《特定失踪者・金 姫順さんについて》
◆氏名:金 姫順
(キム・ヒスン)
(Hi-sung Kim)
◆別名:金村 英子
(かねむらえいこ)
(Eiko Kanemura)
◆失踪年月日:昭和37(1962)年1月
◆生年月日:昭和17(1942)年10月2日
◆性別:女性
◆当時の年齢:19歳
◆当時の住所:兵庫県神戸市中央区元町通
◆当時の身分:専門学校生
◆身長:156cm
◆体重:55kg
◆特徴:
1)目は細い
2)交通事故の後遺症で右か左の足が伸びない(見た目ではわからない)
◆失踪場所:
1)新潟県
2)富山県
3)長野県
【失踪状況】
友人2人と神戸市内の自宅から家出した。その後友人2人は帰ってきた。
新潟もしくは富山にいたようだ。そこで「良い仕事があるので一緒に行かないか」と誘われ、友人たちは断って帰ったが、英子さんはついていったという。
仕事の内容は不明。
過去に一度家出したことがある。
山田英子と名乗っていたこともある。
失踪から1~2年の間は無言電話があった。「英子」と呼びかけても返答が無かった。
■新潟県警HP
http://www.police.pref.niigata.jp/■富山県警HP
http://police.pref.toyama.jp/■長野県警HP
http://www.pref.nagano.lg.jp/police/《特定失踪者・清崎公正さんについて》
◆氏名:清崎 公正
(きよさききみまさ)
(Kimimasa Kiyosaki)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年6月14日
◆生年月日:昭和7(1932)年9月5日
◆性別:男
◆当時の年齢:41歳
◆当時の住所:兵庫県尼崎市
◆当時の身分:大工で建設会社経営
◆身長:172cm
◆体重:60kg
◆血液型:O型
◆特徴:
1)左足に10cmくらいの手術の後
2)髪はオールバック
3)タバコはショートホープかハイライト
4)スポーツ万能
5)性格は優しく子供好き
◆失踪場所:兵庫県尼崎市内
【失踪状況】
当日午前9時頃、通常と同じように妻の作った弁当を持って近くの銀行に歩いていくのを見送ったのが最後。
支払いのため銀行で下ろした50万円を、自宅から歩いて10分の事務所に置いたまま、電気もつけたまま失踪。なくなったものはなく、朝出勤したまま。
失踪後2、3カ月して近所の人の通報で乗っていた軽トラックが尼崎市内で発見された。
経営は普通で借り入れはあったが、その時点で8件現場をかかえ、新しい仕事のため建機も2台購入したところだった。
失踪後何度か無言電話があった。
平成16年9月28日、兵庫県警に告発状提出。
《特定失踪者・佐藤益一さんについて》
◆氏名:佐藤 益一
(さとうますいち)
(Masuichi Satou)
◆失踪年月日:昭和45(1970)年6月15日
◆生年月日:昭和20(1945)年3月31日
◆性別:男
◆当時の年齢:25歳
◆当時の住所:大阪府池田市の社員寮
◆当時の身分:会社員(日立製作所勤務)
◆身長:163cm
◆特徴:
1)痩せ型
2)縮毛
3)山歩きが好き
◆失踪場所:大阪府池田市か?
【失踪状況】
6月13日、電話で守口市の姉に「友達に誘われて淡路島に行く。ボーナス支給日の前で銀行預金に手を付けたくないので」と言って金を借りた。
背広のポケットから同日付のフェリー切符が見つかる。
この後淡路に行ったのか、一度寮に帰って14日に行ったのか、14日に一旦戻ってきてから失踪したのかは不明。
6月15日、会社から実家に「出社していない。勤務態度が真面目だったので無断欠勤するはずがない」と電話があって失踪が判明。
警察、会社も探したが足取りが掴めなかった。
池田警察署で付近の川・池・沼を捜索、親族で箕面公園一帯を捜したが見つからず。
その後会社には「益一さんはもう会社には行かない」という電話があり、名前を名乗ったがその苗字の人は会社にも高校にもいなかった。
■大阪府警HP
http://www.police.pref.osaka.jp/■鹿児島県警HP
http://www.pref.kagoshima.jp/police/ 《特定失踪者・島脇文内さんについて》
◆氏名:島脇 文内
(しまわきぶんない)
(Bun-nai Shimawaki)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年2月
◆生年月日:昭和25(1950)年5月18日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆当時の住所:兵庫県津名郡北淡町富島
◆当時の身分:会社員
◆身長:176cm
◆特徴:
1)中肉
2)性格的におとなしいほう
3)趣味はレコード鑑賞
◆失踪場所:兵庫県垂水区の会社寮から外出
【失踪状況】
朝いつのものように時間どおりに寮から出勤したが、以後行方不明。
自室に普段どおりミカンがおいてあり、所持金等も残されていて変わったところなし。
部屋に残された背広の内ポケットに現金30万円残っていた。
以後一切連絡、情報なし。
《特定失踪者・高見 到さんについて》
◆氏名:高見 到
(たかみいたる)
(Itaru Takami)
◆失踪年月日:平成15(2003)年10月5日
◆生年月日:昭和34(1959)年10月11日
◆性別:男
◆当時の年齢:43歳
◆当時の住所:兵庫県尼崎市
◆当時の身分:大阪府商工労働部・産業デザインセンター勤務のデザイン技師(地方公務員)
◆身長:170cm
◆体重:60kg
◆血液型:B型
◆虫歯は1本もない
◆特徴:
1)視力は0.2程度で眼鏡、コンタクトレンズ使用
2)飲酒する
3)無口で物静かだが仲間の集まりでは明るくふるまっていた
4)趣味はオーディオで、オーディオアンプも組み立てる
5)レアレコード等の収集や旅行も趣味
◆失踪場所:兵庫県尼崎市
【失踪状況】
平成15年10月6日、職場を無断欠勤。自宅マンションの部屋は日常生活そのままで、今にも帰ってくるような状態であった。
銀行通帳、キャッシュカード、運転免許証、健康保険証、印鑑、全て室内に置かれたまま。持って行ったのは通常使用している、財布、私用の手帳、通勤定期券のみ。
外出、通勤時は必ずコンタクトレンズを使用していたが、それも置いたまま。室内で日常使用する眼鏡はなかった。
5日に阪急塚口駅前のりそな銀行塚口支店で15時14分に現金21万円を引き出していたことが後に分かった。
10月下旬には父親が自宅マンションを訪ねる予定だった。
母親の13回忌を12月に行うことになっており、本人は必ず東京に来ると言っていた。
平成14年頃から大阪市立大学の教授と研究を行い、平成15年に大阪府の商工労働部の事業で採用された。
4月から準備を始め、10月にスタートしたとき失踪。
■静岡県警HP
http://www.pref.shizuoka.jp/police/■大阪府警HP
http://www.police.pref.osaka.jp/■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp《特定失踪者・竹屋恵美子さんについて》
◆氏名:竹屋 恵美子
(たけやえみこ)
(Emiko Takeya)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年9月27日
◆生年月日:昭和31(1956)年9月8日
◆性別:女性
◆当時の年齢:18歳
◆当時の住所:兵庫県加古川市
◆当時の身分:無職。大手電機メーカーを退職後で、神戸のパン屋で働く予定だった
◆身長:155cmくらい
◆特徴:左足が若干不自由
◆失踪場所:兵庫県加古川市の自宅を出てから
【失踪状況】
電機メーカーに勤めていたが、失踪前の1ヶ月ほど前に「神戸の六甲山付近のパン屋で働く」ということで会社を辞めた。
当日母から10万円を貰い、とりあえずバッグ一つを持って出て行った。
数日後、母に「着替えをとりにいくから」とだけ母に電話があり、それ以来連絡がない。
《特定失踪者・仲村克己さんについて》
◆氏名:仲村 克己
(なかむらかつみ)
(Katsumi Nakamura)
◆失踪年月日:昭和44(1969)年8月2日
◆生年月日:昭和18(1943)年5月1日
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆当時の住所:兵庫県西宮市
◆当時の身分:牛乳販売
◆沖縄県那覇市出身
◆身長:160cm
◆特徴:
1)眼鏡使用
2)痩せ型
3)色白
◆失踪場所:兵庫県西宮駅
【失踪状況】
下宿していた部屋のテーブルの上に「8月2日神戸へ行く」のメモがあった。
9月に家主から1ヶ月家に帰っていないと電話があり、9月か10月に兵庫県警西宮警察署に失踪届を出す。
本人から一度も連絡がない。
部屋からパスポートがなくなっていた。
また、会社へ給料の問い合わせがあったが取りに来なかった。
■沖縄県警HP
http://www.police.pref.okinawa.jp/《特定失踪者・西安義行さんについて》
◆氏名:西安 義行
(にしやすよしゆき)
(Yoshiyuki Nishiyasu)
◆失踪年月日:昭和62(1987)年3月15日
◆生年月日:昭和40(1965)年6月27日
◆性別:男
◆当時の年齢:21歳
◆当時の住所:兵庫県氷上郡市島町(現・兵庫県丹波市)
◆当時の身分:無職(就職活動中)
◆身長:170cm
◆体重:70kg
◆血液型:A型
◆特徴:
1)近眼で眼鏡使用
2)中学生の頃、交通事故で右鎖骨を骨折し治療跡がある
3)普通運転免許取得
◆失踪場所:京都府山陰本線綾部駅前
【失踪状況】
友人と舞鶴方面へドライブ。夕方、帰り道の綾部駅前で友人と別れた後失踪。
度々、舞鶴に出かけていた。
当日はいつになく、服装を気にしていた。
綾部で降車する理由が見当たらず、舞鶴線で舞鶴に引き返した可能性が高い。
失踪後から平成5年にかけ、子供の歌声などの不審電話が連続した。
失踪後1年ほどして、名古屋中央郵便局消印で、該当者のいない電話番号入りのはがきが届く。
1998年頃、不審な車が西安家の様子を伺い、周辺に聞き込みを行った。
北朝鮮からの未確認情報がある。
■京都府警HP
http://www.pref.kyoto.jp/fukei/■愛知県警HP
http://www.pref.aichi.jp/police/《特定失踪者・萩本喜彦さんについて》
◆氏名:萩本 喜彦
(はぎもとよしひこ)
(Yoshihiko Hagimoto)
◆失踪年月日:昭和50(1975)年4月4日
◆生年月日:昭和15(1940)年1月15日
◆性別:男
◆当時の年齢:35歳
◆当時の身分:製鉄会社勤務(電気保全係)
◆身長:165cm
◆特徴:右眉に小さな傷跡
◆失踪場所:兵庫県高砂市
【失踪状況】
夜勤で自宅から会社へ自転車で向かう途中失踪。
お金も持たず仕事着のまま失踪。
失踪後無言電話や不審な電話があり不審なはがきが届く。
元北朝鮮工作員・金東赫(キム・ドンヒョク)氏が昭和50年8月に平壌サーカス劇場で目撃したとの証言をしている。
《特定失踪者・広田公一さんについて》
◆氏名:広田 公一
(ひろたこういち)
(Kouichi Hirota)
◆失踪年月日:昭和59(1984)年7月21日
◆生年月日:昭和29(1954)年1月21日
◆性別:男
◆当時の年齢:30歳
◆当時の住所:兵庫県尼崎市武庫元町
◆当時の身分:日本自動車連盟(JAF)兵庫支部勤務
◆身長:173cm
◆失踪場所:鳥取県大山
【失踪状況】
車で兵庫県尼崎市の自宅を出発し、鳥取県大山への登山に1人で出かけたが行方不明に。
車は大山登山口南川原駐車場に停めたまま失踪。
車に午後6時20分到着のメモを残す。
車内で仮眠したものとして米子警察遭難救助隊が捜索を1週間続けるが手がかりなし。
警察犬は大山寺経堂まで行くがそこからは進まなかった。
■鳥取県警HP
http://www.pref.tottori.lg.jp/police/《特定失踪者・福本勝利さんについて》
◆氏名:福本 勝利
(ふくもとかつとし)
(Katsutoshi Fukumoto)
◆失踪年月日:平成7(1995)年5月11日
◆生年月日:昭和47(1972)年6月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:22歳
◆当時の住所:滋賀県長浜市神照町
◆当時の身分:会社員
◆身長:172cm
◆体重:52kg
◆特徴:頭の後ろに10cm角の傷
◆失踪場所:滋賀県虎姫町の会社から
【失踪状況】
兵庫県高砂市の家の仕事(漁業)を手伝っていたが、手術をして、休むことも多かった。
そのため本人が求人広告を見て京都に出向き、そこで紹介され滋賀の会社へ行く。
出勤初日の昼にいなくなった。会社のロッカーにかばんの中身がそのままに残っている。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/■滋賀県警HP
http://www.pref.shiga.lg.jp/police/《特定失踪者・古川文夫さんについて》
◆氏名:古川 文夫
(ふるかわふみお)
(Fumio Furukawa)
◆失踪年月日:昭和45(1970)年2月
◆生年月日:昭和26(1951)年9月5日
◆性別:男
◆当時の年齢:18歳
◆当時の住所:兵庫県尼崎市
◆当時の身分:大工見習い
◆身長:160cm
◆血液型:O型
◆特徴:
1)痩せ型
2)髪型は七三分け
3)喘息の発作で時々息ができなくなる
4)酒は少々飲む
◆失踪場所:福井県内
【失踪状況】
3日くらいの日程で北陸方面へ遊びに行くと家を出て行方不明。
出かけて3日目くらいに「あと3日ほどで帰る」との電話があったが帰宅せず。
さらにその後、石川県の消印で、質札が入った手紙が届いた。
質物件は本人のカメラなどだった。
その他、家出するような心当たりはなし。
■福井県警HP
http://www.pref.fukui.jp/kenkei/■石川県警HP
http://www2.police.pref.ishikawa.lg.jp/《特定失踪者・森本規容子さんについて》
◆氏名:森本 規容子
(もりもときよこ)
(Kiyoko Morimoto)
◆失踪年月日:平成3(1991)年9月22日
◆生年月日:昭和47(1972)年11月25日
◆性別:女性
◆当時の年齢:18歳
◆当時の住所:兵庫県西宮市
◆当時の身分:会社員
◆身長:160cm
◆体重:43kg~45kg
◆特徴:
1)痩せ型
2)色白
◆失踪場所:兵庫県西宮市から大阪市にかけて
【失踪状況】
大阪市梅田の本屋に行くと自宅を出て失踪。
家での心当たりなし。
失踪前日の21日夜に友人と電話で29日に映画を観る約束をしている。
当時の所持金少々。金銭トラブル、人間関係のトラブルなし。
失踪後連絡なし。
失踪状況は福山ちあきさん(大阪府で失踪)と類似している。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
■大阪府警HP
http://www.police.pref.osaka.jp/《兵庫県警公開特定失踪者・桑村一二三さんについて》
◆氏名:桑村 一二三
(くわむら ひふみ)
(Hifumi Kuwamura)
◆性別:男
◆当時の年齢:21歳(昭和50年当時)
◆当時の住所:兵庫県姫路市
◆当時の職業:元飲食店店員
◆兵庫県丹波市氷上町出身
◆身長:162cmくらい
◆特徴:痩せ型
【失踪状況】
昭和50年9月、桑村一二三さんは、勤務先を出た後、行方不明となっています。
【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.