-その命、無駄にするんですか?-
《謝れ!償え!北朝鮮!返せ!ワームビアさんの命!アメリカ大統領、北朝鮮請求の“医療費”200万ドル 支払い承認か》
【4月26日金曜日】
アメリカメディアは4月25日、ドナルド・トランプ(Donald John Trump)大統領が北朝鮮を旅行中に拘束されたアメリカ人大学生の解放にあたって、北朝鮮が医療費として請求してきた200万ドルの支払いを承認していたと報じました。
『ワシントンポスト』等複数のアメリカメディアは25日、2016年1月に北朝鮮を旅行中に拘束されたオットー・ワームビア(Otto Warmbier)さんが2017年6月に解放された際、北朝鮮がアメリカに対し、医療費として200万ドルを請求したと報じました。トランプ大統領は支払いを認め、ワームビアさんを迎えに行った政府高官が誓約書にサインしたとしています。
ただ、CNNは、この請求について、アメリカ側は実際には支払いを行わなかったと伝えています。
また、ホワイトハウスのサラ・エリザベス・ハッカビー・サンダース(Sarah Elizabeth Huckabee Sanders)報道官は「人質の交渉に関するコメントはしない」としています。
ワームビアさんは昏睡状態でアメリカに帰国した直後に死亡し、遺族が損害賠償を求めた裁判では、ワシントンの連邦地方裁判所が北朝鮮におよそ5億ドルの支払いを命じています。
■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」
https://youtu.be/QBJcDDGwdFo■アメリカ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP
https://www.hrnk.org/■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/■北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/■No Fence北朝鮮の強制収容所をなくすアクションの会HP
http://www.nofence.jp/■北朝鮮人権人道ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015■自由朝鮮HP
http://cheollimacivildefense.org/■VOA拉致問題動画
https://youtu.be/o2i_u8y8GJM■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。
<原文>
『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』
https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx<日本語訳>
『北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』
https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」
http://kenkato.blog.jp/■ベナTVHP
http://www.benamu.org■ベナTVブログ
http://blog.naver.com/benamu1004■ベナTVFacebook
http://www.facebook.com/bnatv1004■北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ
http://blog.goo.ne.jp/aeran2000■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画
https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be■脱北者トーク番組動画
https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be■脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)
https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be■脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)
https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be■脱北者・金柱聖さんの動画(3)
https://youtu.be/pMC2G7akiiM■ベナTV(日本語版)
https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo■ベナTV(日本語版)動画
https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be■ベナTV(日本語版)動画
https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8■ベナTV脱北者日本語字幕版
https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl《特定失踪者・藤田 進さんについて》
※国連人権理事会(United Nations Human Rights Council=UNHRC)が調査要請を受理した事案
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
(Susumu Fujita)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日
◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆当時の住所:埼玉県川口市南町
◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生
◆特徴:
1)家ではあまりしゃべらないタイプ
2)ギターがうまかった
◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅
【失踪状況】
失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。
後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。
脱北者が北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/■救う会埼玉HP
http://sukuukai.gozaru.jp/■藤田隆司さんfacebook
http://ja-jp.facebook.com/takasi.fujita.3■緑風香ブログ
http://ryokuhuuka.wordpress.com/■拉致問題を考える川口の会HP
http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm《特定失踪者・藤田 慎さんについて》
※藤田 進さん・隆司さん兄弟の叔父
◆氏名:藤田 慎
(ふじたしん)
(Shin Fujita)
◆失踪年月日:昭和35(1960)年
◆生年月日:昭和6(1931)年9月5日
◆性別:男
◆当時の年齢:29歳
◆当時の住所:東京都大田区蒲田
◆当時の身分:三菱重工業か石川島播磨重工業のどちらかに勤務
◆身長:165cmくらい
◆体重:65kg~70kg
◆特徴:
1)柔道をやっていてがっしりした体格
2)川に潜って魚獲りをするのが好きだった
3)長兄(藤田 進さんの父)と顔が似ている
◆失踪場所:東京都大田区蒲田本町(姉夫婦の当時の居住地)
【失踪状況】
長兄に「旅行に行く」と新品の靴を借りに来る。
次兄夫婦には、「結婚したい人がいる」と相談。
また、弟にお金を借りに来る。
その後音信不通。
失踪から数年後、兄夫婦宅(埼玉県川口市仲町)に年賀状が届く。
字体は達筆(本人の字体に似ていた)。
差出人の名前がなかった。
消印は世田谷だったようである。
昭和51年2月7日、埼玉県川口市で失踪した藤田 進さんの叔父にあたる。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/■藤田隆司さんfacebook
http://ja-jp.facebook.com/takasi.fujita.3《特定失踪者・古川了子さんについて》
◆氏名:古川 了子
(ふるかわのりこ)
(Noriko Furukawa)
◆失踪年月日:昭和48(1973)年7月7日
◆生年月日:昭和30(1955)年1月1日
◆性別:女性
◆当時の年齢:18歳
◆当時の住所:千葉県市原市菊間
◆当時の身分:三井造船社員(経理)
◆身長:157cmくらい
◆血液型:B型
◆特徴:
1)中学時代水泳部、高校では卓球部部長。
2)書き初めで入選したことあり、簿記、珠算和文タイプ等資格持っている。
3)左利き。文字を書くのは左右同じに使える。
4)左眉に途切れたような傷がある。
◆失踪場所:千葉県市原市の自宅を出てから
【失踪状況】
当日は土曜日で会社が休みだったので、午前中に美容院に行って午後から母親と浴衣を買いに行く予定をしていた。
午前中、了子さんは母親が知らない間に家を出ていたが、美容院に了子さんから電話で「今日の美容院はキャンセルしたい。出かけるところができたので母親に浴衣を買いに行けなくなったと伝えて下さい」と言った。
母親は美容院の人から電話を貰い、友達にでも会うことになったのだろうと気にはしなかったが、それから何の音沙汰もなくなった。
7月に初めて貰ったボーナスは手付かずだし預金通帳も置いたまま。
持って出たのは財布とハンカチくらいしか入らない、いつも持っている小さなバッグ1つだけだった。
その後、家にも勤め先にも全く連絡なし。中学や高校の友人も心あたりはなかった。
元北朝鮮工作員の安明進(アン・ミョンジン)氏が、「1991年に平壌市内の病院にいた女性と似ている」と証言している。
平成16年1月29日、千葉県警に告発状提出。
平成17年4月13日政府に対し拉致認定を求め東京地裁に提訴。
■千葉県警HP
http://www.police.pref.chiba.jp/■救う会千葉HP
http://sukuukaichiba.web.fc2.com/■救う会千葉ブログ
http://sukuukaichiba.blog.fc2.com/■古川了子さんを救う会HP
http://2.furukawanoriko.michikusa.jp/■しおかぜ収録inハーグ
https://m.youtube.com/watch?v=CeE7fbhZALk《特定失踪者・関谷俊子さんについて》
◆氏名:関谷 俊子
(せきやとしこ)
(Toshiko Sekiya)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年7月11日
◆生年月日:昭和32(1957)年5月19日
◆性別:女性
◆当時の年齢:17歳
◆当時の住所:千葉県市原市徳氏
◆当時の身分:薬品会社勤務。定時制高校在学中
◆身長:160cm
◆体重:50kgくらい
◆血液型:A型またはO型
◆特徴:
1)痩せ型
2)ソフトボールをやっていて、実業団に入るのを勧められた
3)スポーツは得意
◆失踪場所:千葉市内
【失踪状況】
親類の峰島英雄さんと幼馴染の同級生・遠山常子さんと千葉市内の飲食店で飲食後、峰島さんが「車で二人を家まで送ってくる」と店の従業員に言い残して出たまま3人一緒に行方不明となった。
店は峰島さんの兄が店長で妹が従業員。
峰島さんの乗っていた車も発見されていない。
関谷さんは古川了子さん(昭和48年失踪)と同じ高校で3学年下。
古川事件の1年後の同じ7月の失踪。
■千葉県警HP
http://www.police.pref.chiba.jp/■救う会千葉HP
http://sukuukaichiba.web.fc2.com/《特定失踪者・遠山常子さんについて》
◆氏名:遠山 常子
(とおやまつねこ)
(Tsuneko To'yama)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年7月11日
◆生年月日:昭和32(1957)年6月22日
◆性別:女性
◆当時の年齢:17歳
◆当時の住所:千葉県市原市田淵
◆当時の身分:県立高校学生(夜間部)
◆当時の勤務先:千葉市内のスーパーマーケット
◆身長:158cm~160cmくらい
◆血液型:B型
◆特徴:
1)中肉中背で、関谷俊子さんより背がやや低い2)ポッチャリしていた
3)左右どちらかは不明だが眉の上にホクロの切除痕有り
◆失踪場所:千葉市内
【失踪状況】
幼馴染の同級生・関谷俊子さんとその親類の峰島英雄さんと千葉市内の飲食店で飲食後、峰島さんが「車で二人を家まで送ってくる」と店の従業員に言い残して出たまま3人一緒に行方不明となった。
店は峰島さんの兄が店長で妹が従業員。
峰島さんの乗っていた車も発見されていない。
■千葉県警HP
http://www.police.pref.chiba.jp/■救う会千葉HP
http://sukuukaichiba.web.fc2.com/《特定失踪者・峰島英雄さんについて》
◆氏名:峰島 英雄
(みねしまひでお)
(Hideo Mineshima)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年7月11日
◆生年月日:昭和27(1952)年9月2日
◆性別:男
◆当時の年齢:21歳
◆当時の住所:千葉市(稲毛区)轟町
◆当時の身分:千葉市内の電話工事会社社員(下請け)
◆身長:170cm
◆血液型:B型またはO型
◆特徴:
1)ガッチリした体型
2)少し空手を習っていた
3)飲酒・喫煙をする
4)軽装
◆失踪場所:千葉市内
【失踪状況】
当日夜、遠山常子さんと、幼馴染の友人女性である関谷俊子さん、ならびに関谷俊子さんの親戚である峰島英雄さんの3人は、英雄さんの兄が店長を務め妹が勤務する千葉市内の飲食店で食事をした。
数時間店に滞在。英雄さんが「二人を車で家に送ってくる。おなかも空いたので、戻ってくるからおにぎりを作っておいてくれ」と言って店を出たが戻って来なかった。
その後三人からの連絡は一切無し。
車(赤いマーク2)も発見されていない。
失踪の当日は、関谷俊子さんの引越しの日だった。
失踪以降、何ら手がかりとなるものは無かった。
■千葉県警HP
http://www.police.pref.chiba.jp/■救う会千葉HP
http://sukuukaichiba.web.fc2.com/◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)
(拉致被害時28歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html■救う会兵庫facebook
http://www.facebook.com/sukuukai078 [In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]
Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)
Disappeared after departing Japan for Europe.
The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.
Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.
【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.