-その命、見捨てますか?-
《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!高齢化進む拉致被害者家族「一目会うまで」訴え悲痛》
高齢化が進む拉致被害者の家族が国民大集会で訴えました。
「家族会の両親もほとんど天に召され、主人も体調が弱ってきてますし…。一目会うまで一回でいいから、こんなに長いこと会えない状態になって。『頑張ってきたね』って抱きしめてあげたい」
(横田早紀江さん83歳。拉致被害者・横田めぐみさんの母)
9月16日、東京都千代田区のシェーンバッハ・サボーで北朝鮮による拉致被害者の救出を訴える国民大集会が開かれました。
横田めぐみさんの母・早紀江さんは高齢化する家族の体調の悪化について触れながら、
「被害者と会うその日まで頑張らないといけない」
と声を振り絞りました。
北朝鮮が日本人拉致を認めてから17年が経ちます。
■横田めぐみさんのご家族のメッセージ
http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_2.html■横田めぐみさんのご家族のメッセージ(英語版)
http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_2en.html■「めぐみへの誓い-奪還-」PV
https://www.youtube.com/watch?v=J6cZyGknNi8■「めぐみへの誓い-奪還-」(英語版)
https://m.youtube.com/watch?feature=share&v=VEQdbP3JlVo■アニメ「めぐみ」
https://m.youtube.com/watch?v=OXGYACTRGjI■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/■北海道警HP
http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/■救う会道南HP
http://www.satoukenji.jp/sukuukai_dounan/■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/■北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/■No Fence北朝鮮の強制収容所をなくすアクションの会HP
http://www.nofence.jp/■北朝鮮人権人道ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015■自由朝鮮HP
http://cheollimacivildefense.org/■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」
https://youtu.be/QBJcDDGwdFo■アメリカ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP
https://www.hrnk.org/■VOA拉致問題動画
https://youtu.be/o2i_u8y8GJM■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。
<原文>
『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』
https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx<日本語訳>
『北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』
https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」
http://kenkato.blog.jp/■ベナTVHP
http://www.benamu.org■ベナTVブログ
http://blog.naver.com/benamu1004■ベナTVFacebook
http://www.facebook.com/bnatv1004■北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ
http://blog.goo.ne.jp/aeran2000■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画
https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be■脱北者トーク番組動画
https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be■脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)
https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be■脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)
https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be■脱北者・金柱聖さんの動画(3)
https://youtu.be/pMC2G7akiiM■ベナTV(日本語版)
https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo■ベナTV(日本語版)動画
https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be■ベナTV(日本語版)動画
https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8■ベナTV脱北者日本語字幕版
https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl◆昭和52(1977)年11月15日
少女拉致容疑事案
被害者:横田めぐみさん(Megumi Yokota)
(拉致被害時13歳)
※This person was Abduction by North Korea
新潟市において下校途中に失踪。
平成16年11月に開催された第3回実務者協議において、北朝鮮側はめぐみさんが1994(平成6)年4月に死亡したとし「遺骨」を提出したが、めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部からは同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
平成18年4月には日本政府の実施したDNA検査により、横田めぐみさんの夫が昭和53年に韓国より拉致された当時高校生の韓国人拉致被害者・金英男(キム・ヨンナム)氏である可能性が高いことが判明した。
※「白い翼でも黒い翼でも、赤い翼でも青い翼でも、何でも結構なんで、帰って来られる翼をめぐみに与えてほしい」
(横田早紀江さん。拉致被害者・横田めぐみさんの母)
※「正義は必ず勝つ、と私は信じていますので、あとしばらくお力をお貸しください」
(横田哲也さん。拉致被害者・横田めぐみさんの弟)
■新潟県警HP
http://www.police.pref.niigata.jp/■神奈川県警HP
http://www.police.pref.kanagawa.jp/■あさがおの会HP
http://www.asagaonokai.jp■ブルーリボンの祈り会/スイス日本語福音キリスト教会HP
https://www.jegschweiz.com/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%81%AE%E7%A5%88%E3%82%8A%E4%BC%9A/■アニメ「めぐみ」
https://m.youtube.com/watch?v=OXGYACTRGjI[November 15, 1977: Young girl abducted]
Abductee: Megumi Yokota (13, female, Niigata Prefecture)
Disappeared on her way home from school in Niigata City.
During the third round of Japan-North Korea Working-Level Consultations in November 2004, North Korea claimed that Megumi Yokota died in April 1994 and handed over what it claimed were her remains. DNA analysis, however, indicates that some of the bones from these remains belong in fact to a different person or persons.
Additional DNA analysis conducted in April 2006 by the GoJ indicated a high probability that Kim Young-Nam, a Korean citizen abducted from the Republic of Korea in 1978 when he was a high-school student, was married to Ms. Yokota.
◆昭和55(1980)年5月頃
欧州における日本人男性拉致容疑事案
被害者:石岡 亨さん(To-o-ru Ishioka)
(拉致被害時22歳)
※This person was Abduction by North Korea
被害者:松木 薫さん(Kaoru Matsuki)
(拉致被害時26歳)
※This person was Abduction by North Korea
2人とも欧州滞在中の昭和55年に失踪。
昭和63年に石岡さんから日本の家族に出した手紙(ポーランドの消印)が届き、石岡さん、松木さん、そして有本恵子さんが北朝鮮に在住すると伝えてきた。
北朝鮮側は、石岡 亨さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で有本恵子さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
また、同様に松木 薫さんについても、1996(平成8)年8月に交通事故で死亡したとして、平成14年9月及び平成16年11月に開催された第3回日・朝実務者協議と2回にわたり、北朝鮮側から松木さんの「遺骨」の可能性があるとされるものが提出されたが、そのうちの一部からは、同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の妻・森 順子及び若林(旧姓:黒田)佐喜子について、平成19年6月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。
■北海道警HP
http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/■熊本県警HP
http://www.police.pref.kumamoto.jp/[In or around May 1980: Two Japanese men abducted in Europe]
Abductees: Toru Ishioka (22, male, Europe), Kaoru Matsuki (26, male, Europe)
Both men disappeared while living in Europe in 1980. A letter postmarked in Poland and sent by Mr. Ishioka in 1988 to his family in Japan indicated that he, Mr. Matsuki and Keiko Arimoto (see 12 below) were all living in North Korea.
North Korea asserts that Mr. Ishioka and Ms. Arimoto died in a gas poisoning accident in November 1988, but has provided no documents or evidence to support these claims. North Korea also asserts that Mr. Matsuki died in an automobile accident in August 1996. In September 2002, and at the Third Japan-North Korea Working-Level Consultations held in September 2002 and November 2004, North Korea handed over remains possibly belonging to Mr. Matsuki, but analysis in Japan indicates that these remains contain DNA belonging to someone else.
The Japanese authorities issued arrest warrants in June 2007 for Junko Mori and Sakiko Wakabayashi (nee Kuroda), wives of Yodo-go members, who are believed to be responsible for these abductions, and listed them both with Interpol. The GoJ demands that North Korea extradite them to Japan.
《特定失踪者・斉藤四郎さんについて》
◆氏名:斉藤 四郎
(さいとうしろう)
(Shirou Saitou)
◆失踪年月日:昭和31(1956)年3月18日
◆生年月日:昭和13(1938)年11月23日
◆性別:男
◆当時の年齢:17歳
◆当時の住所:北海道札幌市中央区
◆当時の身分:板金工見習
◆身長:160cmくらい
◆失踪場所:北海道札幌市
【失踪状況】
昭和29年から板金見習として住み込みで働いていた。
当日は板金組合の講習があり、朝会社の人と一緒に行ったというが講習会場には行っていない。会社にも戻ってこなかった。
会社の同僚の話では、前夜布団を被って泣いていたとのこと。
《特定失踪者・斉藤 宰さんについて》
◆氏名:斉藤 宰
(さいとうおさむ)
(Osamu Saitou)
◆失踪年月日:昭和32(1957)年~昭和33年頃
◆生年月日:昭和11(1936)年5月6日
◆性別:男
◆当時の年齢:21歳~22歳
◆当時の住所:東京都港区
◆当時の身分:発電工事会社の経理
◆特徴:喫煙する
◆失踪場所:東京都港区
【失踪状況】
東京に在住し、会社に勤めていた。
「北海道で国籍を買い受け、海外へ行く」などと書かれた手紙が実家に送られてきて以降、行方がわからなくなった。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp《特定失踪者・野崎幸夫さんについて》
◆氏名:野崎 幸夫
(のざきゆきお)
(Yukio Nozaki)
◆失踪年月日:昭和36(1961)年7月1日
◆生年月日:昭和9(1934)年10月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆当時の住所:北海道下川町
◆当時の身分:北海道下川町消防職員
◆身長:168cm
◆体重:67kgくらい
◆特徴:
1)自動車整備技術あり
2)煙草は吸わない
3)スポーツは特にやらない
4)酒は少々飲む
◆失踪場所:北海道上川郡下川町消防本部
【失踪状況】
7月1日、消防本部で12時のサイレンを吹鳴した後、行方不明。
妻から「昼食で自宅に戻らない」との連絡が消防本部に入った。
昼食は通常自宅で摂っていたが、妻から昼食に戻らないと連絡が入り失踪が判明。
消防関係者、町職員、町内会の協力の下におよそ3日間捜索した。
また、どこかで自殺でもしたのかと身内などで山林、河川、鉄道など広範囲に捜すも、何の姿かたちも見せず。
同年4月から勤務。
《特定失踪者・森 洋子さんについて》
◆氏名:森 洋子
(もりようこ)
(Youko Mori)
◆失踪年月日:昭和38(1963)年9月20日
◆生年月日:昭和19(1944)年5月15日
◆性別:女性
◆当時の年齢:19歳
◆当時の住所:北海道亀田郡戸井村(現・函館市)
◆当時の身分:実家の雑貨商店手伝い
◆身長:163cm
◆体重:48kg
◆特徴:
1)色白
2)長身で痩せ型
3)盲腸の手術跡
4)鼻の右下と口の下に小さなほくろあり
5)髪はパーマをかけていた
◆失踪当時の服装:ベージュ色の上下のスーツに茶色のバッグ
◆失踪場所:北海道函館市千歳町のバス停留所付近
【失踪状況】
失踪前日に北海道函館市内の高校時代の友人宅に宿泊した。
失踪当日は別の友人と買い物をしたり、函館山へ登山に行った。
20日夕方、友人と喫茶店2軒で時間をつぶし、午後9時頃のバスに乗るため、2人でバス停に向かう。
その後、洋子さんは前日に宿泊した友人の所へ泊まると言い、バスで帰る友人と別れたあと行方不明。
《特定失踪者・西平カメさんについて》
◆氏名:西平 カメ
(にしひらかめ)
(Kame Nishihira)
◆戸籍氏名:大田 カメ
(おおたかめ)
(Kame O'ta)
◆失踪年月日:昭和40(1965)年10月
◆生年月日:昭和3(1928)年4月20日
◆性別:女性
◆当時の年齢:37歳
◆当時の住所:北海道帯広市
◆当時の身分:専業主婦
◆身長:155cm~160cm
◆体重:60kgくらい
◆特徴:
1)酒はたまに飲む
2)庭造りが好きで畑仕事が得意
◆失踪場所:北海道帯広市
【失踪状況】
失踪の2、3日前に内縁の夫と喧嘩をしていた。
ある朝家族が起きるといなくなっていた。
家財、衣類なども全く手付かずで、着のみ着のままでいなくなっていた。
内縁の夫との間に生まれた2歳くらいの乳呑児もそのまま置き去り。
その後一切の連絡なし。
《特定失踪者・吉田信夫さんについて》
◆氏名:吉田 信夫
(よしだのぶお)
(Nobuo Yoshida)
◆失踪年月日:昭和40(1965)年5月25日
◆生年月日:昭和10(1935)年8月30日
◆性別:男
◆当時の年齢:29歳
◆当時の住所:北海道小樽市
◆当時の身分:会社員
◆身長:160cmくらい
◆体重:55kgくらい
◆特徴:右目の視力が弱く多少斜視
◆失踪場所:札幌市の会社を退社後
【失踪状況】
手稲工場を退社後行方不明となる。
汽車通勤で転勤後間もないため小樽工場へ立ち寄った可能性がある。
《特定失踪者・山形キセさんについて》
◆氏名:山形 キセ
(やまがたきせ)
(Kise Yamagata)
◆失踪年月日:昭和40(1965)年8月以降
◆生年月日:昭和18(1943)年9月13日
◆性別:女性
◆当時の年齢:21歳~22歳
◆当時の住所:神奈川県川崎市
◆当時の身分:和裁見習
◆身長:159cmくらい
◆特徴:
1)中肉
2)左右に八重歯
◆失踪場所:神奈川県川崎市
【失踪状況】
青森県弘前市の中学卒業後、川崎市で和裁の見習をしていた。
失踪の年の3月に母が青森から上京して一緒に東京見物。
また、8月に姉妹とともに写真を撮ったが、それ以降手紙も写真も届かなくなり、音信不通となった。
■神奈川県警HP
http://www.police.pref.kanagawa.jp/■青森県警HP
http://www.police.pref.aomori.jp/《特定失踪者・蘇武てつ子さんについて》
◆氏名:蘇武 てつ子
(そぶてつこ)
(Tetsuko Sobu)
※てつ子さんの「てつ」は「吉」の字を横に2つ書きます。
◆失踪年月日:昭和42(1967)年1月9日
◆生年月日:昭和17(1942)年8月3日
◆性別:女性
◆当時の年齢:24歳
◆当時の住所:北海道帯広市
◆当時の身分:家事手伝いで、編み物教室生徒
◆身長:158cm
◆体重:55kg
◆血液型:
◆特徴:
1)近視で眼鏡使用
2)中肉中背
3)太めの髪質
4)素直で優しい性格
5)慎重で几帳面
◆失踪場所:北海道帯広市の自宅
【失踪状況】
1月9日は吹雪のような日であった。
夕方18時頃、兄・孝夫さんが一時帰宅した際にはてつ子さんは在宅であった。
その後孝夫さんは仕事に出かけ、21時頃に妹・サトエさんが帰宅した際にてつ子さんはいなくなっていた。
何時も着ていたオーバーは無く、お財布と普段履いていた靴は無くなっていた。
その他、保険証、貯金通帳等は残されてまま。
荷物をまとめた形跡や荒らされてもいない。
てつ子さんは当時仕事には就いておらず、2年程市内の編み物教室に毎日通っていた。
失踪後2、3年程、十勝清水の実家に無言電話が年に2、3回続いた。
「てっちゃん」と呼びかけても返事は無く切れてしまった。
失踪から2年程経って、帯広警察へ失踪届けを出したが事件性が無いとして捜索はしていない。
《特定失踪者・吉田雪江さんについて》
◆氏名:吉田 雪江
(よしだゆきえ)
(Yukie Yoshida)
◆失踪年月日:昭和42(1967)年1月28日
◆生年月日:昭和24(1949)年2月18日
◆性別:女性
◆当時の年齢:17歳
◆当時の住所:北海道釧路市
◆当時の身分:電話交換手
◆身長:156cm
◆体重:55kg
◆特徴:
1)中肉
2)鼻は丸い
3)活発で明朗、真面目な性格
◆失踪当時の服装:オーバーを羽織って長靴を履いていた
◆失踪場所:北海道釧路市
【失踪状況】
失踪当日夕方、会社の同僚の結婚式が6時頃からあり、退勤後自宅に戻り着替えてから式場に向かった。
終了後式場からいったん自宅に戻り、午後8時30分から9時の間くらいに新婚旅行への出発を見送りに行くと時刻表を指して時間を確認し、自宅から長靴で出かけたまま失踪。
服装は結婚式に出た服装で、その上にオーバーを羽織っていた。
新婚旅行の出発は選挙のため投票してから出かけるために変更になっていた。
警察の報告では駅で見かけた人はいなかった。
荷物も持っておらず、社内預金もそのままだった。
《特定失踪者・山崎博司さんについて》
◆氏名:山崎 博司
(やまざきひろし)
(Hiroshi Yamazaki)
◆失踪年月日:昭和42(1967)年5月8日
※北海道警の公表では昭和42年4月12日
◆生年月日:昭和19(1944)年3月8日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆当時の住所:北海道士別市
◆当時の身分:農業
◆身長:170cm
◆体重:60kg
◆特徴:左の頬の鼻に近いところに4mmくらいの黒いホクロ
◆趣味:カメラ
◆失踪場所:北海道士別市
【失踪状況】
失踪当日昼、「遊びに行く」と自転車に乗って出かけたまま帰らず。
総出で2日間探した結果、国道のすぐ側の知人の家で自転車は見つかる。
当時どこの家にも車はなかったが、この日暗くなってから、車が自宅の入口に来てすぐにUターンして行ってしまった。
妹が「兄ちゃんが帰ってきた」と言ったのでのぞいて見たが誰も降りてこなかった。
《特定失踪者・城崎暎子さんについて》
◆氏名:城崎 暎子
(しろさきえいこ)
(Eiko Shirosaki)
◆失踪年月日:昭和42(1967)年4月21日
◆生年月日:昭和21(1946)年7月20日
◆性別:女性
◆当時の年齢:20歳
◆当時の住所:北海道岩内郡共和町
◆当時の身分:家事(農業)手伝い
◆身長:153cm
◆特徴:
1)中肉
2)趣味は裁縫・洋裁
◆失踪場所:北海道岩内郡岩内町岩内港防波堤
【失踪状況】
失踪当日、朝8時か9時頃、いつものように母親に「服地を買いに町に行ってくる」と言い残して外出した。
同日12時頃、岩内港の防波堤に、本人の靴、かばん、服地、ケーキなどが置いてあるのを地元漁師が発見し、岩内署に連絡した。
遺留品が本人のものと確認できたため、警察がダイバーを出して付近海底を捜索したが、死体を発見することができなかった。
自殺の動機は考えられない。ましてや昼間の失踪であるので自殺はないと考えられる。
遺留品の「服地」は買い物をしたままの状態だった。どこで買ったかは不明。
遺留品の「ケーキ」は箱に入って残っていた。どこで買ったかは不明。
町に出かけると、いつもケーキを買って帰っていた。
遺留品のケーキも誰かの誕生日のためというものではない。
《特定失踪者・岡田優子さんについて》
◆氏名:岡田 優子
(おかだゆうこ)
(Yu-ko Okada)
◆失踪年月日:昭和42(1967)年10月23日
◆生年月日:昭和28(1953)年3月27日
◆性別:女性
◆当時の年齢:14歳
◆当時の住所:北海道常呂郡佐呂間町
◆当時の身分:中学3年生
◆身長:150cm
◆特徴:
1)小太り
2)盲腸の手術痕
3)日本舞踊をやっていた
◆失踪場所:北海道常呂郡常呂町
【失踪状況】
失踪した当日、「ちょっと風邪をひいた」ということで中学校を休んだ。
浜佐呂間から汽車で20分程離れた常呂町内の文房具屋で何かを買っているところを、実家の近所の人が目撃した。
その後、常呂の海岸で本人のカーディガンが見つかった。
《特定失踪者・紙谷慶五郎さんについて》
◆氏名:紙谷 慶五郎
(かみやけいごろう)
(Keigorou Kamiya)
◆失踪年月日:昭和43(1968)年11月7日
◆生年月日:明治45(1912)年3月5日
◆性別:男
◆当時の年齢:56歳
◆当時の住所:北海道紋別郡雄武町
◆当時の身分:漁業
◆身長:175cm
◆特徴:
1)温厚だが、子どものしつけは厳しかった
2)男の子どもには義務教育も受けさせなかった
3)しかし、他人の世話は人一倍好きなことで有名だった
◆失踪場所:北海道雄武町元稲府(おうむちょうもといねっぷ)北岸港から7km付近
【失踪状況】
父親の所有する漁船「圭運丸」(6トン)に息子の3人がともに乗船し、当日午前6時頃に北海道雄武町元稲府北岸港を出港し、港から7キロ付近にてイカ底建て網漁を操業。
帰港する他の僚船とすれ違って漁場に出て遭難。遭難当時はベタなぎだったが、潮の流れが速く、他の僚船は操業を中止していた。そのため、遭難現場を目撃した人物はおらず、付近に他の船が存在したかどうかも確認されていない。
船体は遭難付近の海底にて発見されたものの、引き上げ作業に失敗した。船の油や残留品などが海面で発見された後に、雄武町付近の海岸でも発見された。
乗組員4人の遺体は発見されないまま、捜査は打ち切られた。
《特定失踪者・紙谷圭剛さんについて》
◆氏名:紙谷 圭剛
(かみやけいご)
(Keigo Kamiya)
◆失踪年月日:昭和43(1968)年11月7日
◆生年月日:昭和16(1941)年3月20日
◆性別:男
◆当時の年齢:27歳
◆当時の住所:北海道紋別郡雄武町
◆当時の身分:漁業
◆身長:178cm
◆特徴:義務教育も受けなかったが、数学と幾何学は天才的だった
◆失踪場所:北海道雄武町元稲府(おうむちょうもといねっぷ)北岸港から7km付近
【失踪状況】
父親の所有する漁船「圭運丸」(6トン)に息子の3人がともに乗船し、当日午前6時頃に北海道雄武町元稲府北岸港を出港し、港から7キロ付近にてイカ底建て網漁を操業。
帰港する他の僚船とすれ違って漁場に出て遭難。遭難当時はベタなぎだったが、潮の流れが速く、他の僚船は操業を中止していた。そのため、遭難現場を目撃した人物はおらず、付近に他の船が存在したかどうかも確認されていない。
船体は遭難付近の海底にて発見されたものの、引き上げ作業に失敗した。船の油や残留品などが海面で発見された後に、雄武町付近の海岸でも発見された。
乗組員4人の遺体は発見されないまま、捜査は打ち切られた。
《特定失踪者・紙谷礼人さんについて》
◆氏名:紙谷 礼人
(かみやのりひと)
(Norihito Kamiya)
◆失踪年月日:昭和43(1968)年11月7日
◆生年月日:昭和23(1948)年4月11日
◆性別:男
◆当時の年齢:20歳
◆当時の住所:北海道紋別郡雄武町
◆当時の身分:漁業
◆特徴:
1)人思いの性格
2)優しくて明るい。女の子に特にやさしかった
3)スポーツ万能
4)くよくよしない性格で、指導力もあった
◆失踪場所:北海道雄武町元稲府(おうむちょうもといねっぷ)北岸港から7km付近
【失踪状況】
父親の所有する漁船「圭運丸」(6トン)に息子の3人がともに乗船し、当日午前6時頃に北海道雄武町元稲府北岸港を出港し、港から7キロ付近にてイカ底建て網漁を操業。
帰港する他の僚船とすれ違って漁場に出て遭難。遭難当時はベタなぎだったが、潮の流れが速く、他の僚船は操業を中止していた。そのため、遭難現場を目撃した人物はおらず、付近に他の船が存在したかどうかも確認されていない。
船体は遭難付近の海底にて発見されたものの、引き上げ作業に失敗した。船の油や残留品などが海面で発見された後に、雄武町付近の海岸でも発見された。
乗組員4人の遺体は発見されないまま、捜査は打ち切られた。
《特定失踪者・紙谷速水さんについて》
◆氏名:紙谷 速水
(かみやはやみ)
(Hayami Kamiya)
◆失踪年月日:昭和43(1968)年11月7日
◆生年月日:昭和26(1951)年1月9日
◆性別:男
◆当時の年齢:17歳
◆当時の住所:北海道紋別郡雄武町
◆当時の身分:漁業
◆身長:170cm
◆特徴:
1)体が弱かった
2)内股で歩く
3)女の子のように優しい
◆失踪場所:北海道雄武町元稲府(おうむちょうもといねっぷ)北岸港から7km付近
【失踪状況】
父親の所有する漁船「圭運丸」(6トン)に息子の3人がともに乗船し、当日午前6時頃に北海道雄武町元稲府北岸港を出港し、港から7キロ付近にてイカ底建て網漁を操業。
帰港する他の僚船とすれ違って漁場に出て遭難。遭難当時はベタなぎだったが、潮の流れが速く、他の僚船は操業を中止していた。そのため、遭難現場を目撃した人物はおらず、付近に他の船が存在したかどうかも確認されていない。
船体は遭難付近の海底にて発見されたものの、引き上げ作業に失敗した。船の油や残留品などが海面で発見された後に、雄武町付近の海岸でも発見された。
乗組員4人の遺体は発見されないまま、捜査は打ち切られた。
《特定失踪者・斉藤 裕さんについて》
◆氏名:斉藤 裕
(さいとうひろし)
(Hiroshi Saitou)
◆失踪年月日:昭和43(1968)年12月1日
◆生年月日:昭和25(1950)年9月17日
◆性別:男
◆当時の年齢:18歳
◆当時の住所:北海道稚内市
◆当時の身分:高校機械科3年生
◆身長:160cm
◆特徴:
1)小柄で痩せ型
2)腕に火傷痕(左右は不明)
3)盲腸の手術跡あり
◆失踪場所:北海道稚内市内
【失踪状況】
当日夜7時頃、4キロくらい離れた友人宅を訪ねたが友人は不在だったので、「また来る」とその家族に告げて浜の方へ下りていったまま消息不明。
翌年4月から大阪の会社に就職が決まっていた。
平成16年1月29日、北海道県警に告発状提出。
■大阪府警HP
http://www.police.pref.osaka.jp/《特定失踪者・国井えり子さんについて》
◆氏名:国井 えり子
(くにいえりこ)
(Eriko Kuni-i)
◆失踪年月日:昭和43(1968)年12月12日
◆生年月日:昭和26(1951)年10月11日
◆性別:女性
◆当時の年齢:17歳
◆当時の住所:北海道網走市
◆当時の身分:高校2年生
◆身長:156cm
◆血液型:A型
◆特徴:
1)色白
2)眼鏡使用
3)盲腸の手術痕
4)内向的だが、時としてキツイところもある
5)勝気で芯はしっかりしている
6)小学校高学年のころ英語塾へ通っていた
7)趣味は英語、詩を書くこと、茶道、華道
◆失踪当時の服装:高校の制服
◆失踪場所:北海道網走市内の自宅から
【失踪状況】
失踪する数日前から、家には「学校へ行く」と言って出かけていたが、家族が仕事に出かけたあとで家に戻り、自分の部屋に閉じこもっていた(知人の証言)。
失踪した日の午前7時30分頃、「学校で試験があるのでいつもより早く学校へ行く」といってみかんを半分だけ食べて自宅を出たまま行方不明。
失踪時の服装は高校の制服。
普段かけていた眼鏡は部屋に置かれたままで、日記も2冊あった(日記は警察に提出し、その後処分された)。
衣服などは持ち出した形跡はなかったが、アルバムがなくなっていた。
高校生だったのでお金もそんなにもっていない。家のお金にも手をつけていない。
失踪後、数日してから無言電話が3~4回かかってきた。家族が出ると一方的に切れるものだった。
同様の無言電話が複数の親戚のところにもあった。
脱北者がもたらした写真が、国井えり子さんである可能性がある。
平成17年9月30日、北海道警に告発状を提出。
《特定失踪者・別役佳子さんについて》
◆氏名:別役 佳子
(べっちゃくけいこ)
(Keiko Betchaku)
◆失踪年月日:昭和44(1969)年2月
◆生年月日:昭和16(1941)年8月1日
◆性別:女性
◆当時の年齢:27歳
◆当時の住所:京都府京都市
◆当時の身分:スナック店長
◆身長:155cm~156cm
◆体重:55kg
◆特徴:
1)色白
2)飲酒、喫煙する
3)スポーツは何でもやる
◆失踪場所:京都府京都市北区紫野西野町
【失踪状況】
昭和44年(1969)2月、京都市北区紫野西野町に所在したスナック「ダンヒル」(現在は存在しない)に雇われママとして勤務していた当時、高知県香美郡香我美町(現・香南市)の実家に一時帰省の意味で帰ると連絡してきたのを最後に行方不明となった。
実家に子どもを預けていた。
日時は不明だが、当時北海道に居住していた弟に家賃とミシンの支払いを依頼する手紙が送られてきた。
本件については別役さんの京都における人間関係に複数の北朝鮮関係の人物がおり、それらが関与した拉致の可能性が考えられる。
また、飲食店勤務等の職業で幼い子供がいたという意味では渡辺秀子さんや田口八重子さんらとも類似の点がある。
■京都府警HP
http://www.pref.kyoto.jp/fukei/■高知県警HP
http://www.police.pref.kochi.lg.jp/《特定失踪者・長谷川文子さんについて》
◆氏名:長谷川 文子
(はせがわふみこ)
(Fumiko Hasegawa)
◆失踪年月日:昭和44(1969)年3月
※北海道警の公表では昭和44年4月頃
◆生年月日:昭和27年(1952)2月22日
◆性別:女性
◆当時の年齢:17歳
◆当時の住所:北海道美唄市
◆当時の身分:看護師・夜間高校生(当時の勤務先の炭鉱病院は閉鎖、通学していた美唄市内の高校は閉校。病院で働きながら看護学校を卒業)
◆身長:157cm
◆体重:50kg
◆血液型:A型
◆特徴:
1)丸顔
2)頭髪は黒色でショートカット
3)中学生の時、扁桃腺の手術をしている
◆失踪場所:北海道美唄市
【失踪状況】
夜の8時か9時頃、勤務先の病院もしくは通学先の高校からの帰宅途中に失踪。
本人が利用していたバスの運転手の証言によれば、友人と一緒にバスに乗り、自宅近くのバス停にて一人で下車したという。
これが最後の目撃情報。友人が誰かは不明。
警察の捜査によっても、なんら痕跡が残っていなかった。
看護免許やお金も何も持たないで行方不明になった。
当時、家族がテレビ、ラジオで呼びかけたが、全く手がかりはなかった。
本人が勤務していた美唄炭鉱病院があった美唄炭鉱には、終戦時には最大6,000人もの在日朝鮮人が働いていたが、終戦直後に帰国。
《特定失踪者・名取志津子さんについて》
◆氏名:名取 志津子
(なとりしづこ)
(Shizuko Natori)
◆失踪年月日:昭和46(1971)年12月2日
◆生年月日:昭和27(1952)年2月16日
◆性別:女性
◆当時の年齢:19歳
◆当時の住所:北海道瀬棚郡瀬棚町(現・せたな町)
◆当時の身分:金物店(姉の店)勤務。その前は函館・札幌のお茶の会社に勤務していた。
◆特徴:
1)小柄
2)丸顔
◆失踪場所:北海道瀬棚郡北檜山町
【失踪状況】
勤務先であった姉の嫁ぎ先より帰宅途中に失踪。
姉の嫁ぎ先は北桧山駅から400メートル離れた市街地にあり、 当時は瀬棚線で通勤していた。
静岡から戻ってくる母が午後7時半頃北桧山駅に列車に乗る予定だったため、いつもより店を出る時間を約1時間遅らせた。
帰り際に「明日母のお土産をもってくるから」と親類に言って店を出た。
■静岡県警HP
http://www.pref.shizuoka.jp/police/《特定失踪者・阿部妙子さんについて》
◆氏名:阿部 妙子
(あべたえこ)
(Taeko Abe)
◆別名:山田 妙子
(やまだたえこ)
(Taeko Yamada)
◆失踪年月日:昭和50(1975)年8月25日
◆生年月日:昭和28(1953)年2月17日
◆性別:女性
◆当時の年齢:23歳
◆当時の住所:北海道札幌市中央区
◆当時の身分:飲食店従業員
◆身長:167cm~168cm
◆体重:45kgくらい
◆特徴:
1)話をするとき歯を舌で隠すような話し方
2)細身で足が長くスタイルは良かった
3)顔は小さく卵形
4)色白
◆失踪場所:北海道札幌市
【失踪状況】
本名は阿部妙子。
山田妙子、山田洋子という通称を使っていた。
失踪当時、妹が姉に電話をすると同棲相手が電話出て「2、3日前からいない」と言われた。
また、友人と部屋を訪ねたが姿はなかった。
その後何の手がかりも見つかっていない。
失踪の数日前電話があり「兄弟仲良く、元気で暮らすように」と言われた。
その後妹が、妙子さんの友人から「妙子さんがお別れの挨拶に来た。別人のようにやつれていたし、どこかに行くの?」と聞かれた。
《特定失踪者・佐賀直香さんについて》
◆氏名:佐賀 直香
(さがなおか)
(Naoka Saga)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年8月1日
◆生年月日:昭和45(1970)年3月21日
◆性別:女性
◆当時の年齢:6歳
◆当時の住所:北海道根室市
◆当時の身分:北海道根室市立北斗小学校1年生
◆血液型:A型
◆特徴:
1)左右どちらかの臀部に火傷痕がある
2)一重まぶた
3)耳は大きい
◆失踪当時の服装:花柄のミディのスカートと白いブラウス
◆失踪場所:北海道根室市本町
【失踪状況】
昭和51(1976)年8月1日午後1時30分ころ、「遊びに行く」と言って自宅を出て、棒切れを持って自宅前で遊んでいる直香さんを母親が目撃したのを最後に行方不明となった。
根室市の自宅から10分くらいのところにあるデパートの前で木の枝のようなものを持っていたのを知人が目撃している。
また、根室市梅ヶ枝町または緑町付近で住民から目撃されている。
失踪後、近くの海も潜って探してもらったが何一つ見つからなかった。
《特定失踪者・坂上良則さんについて》
◆氏名:坂上 良則
(さかうえよしのり)
(Yoshinori Sakaue)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年8月10日
◆生年月日:昭和23(1948)年5月21日
◆性別:男
◆当時の年齢:28歳
◆当時の住所:福島県原町市(現・南相馬市)
◆当時の身分:ガソリンスタンド従業員
◆北海道川上郡弟子屈町出身
◆身長:170cmくらい
◆特徴:
1)痩せ型
2)喫煙する
3)酒は好んで飲み、ほがらかになる方
4)人付き合いが良く話し好き
5)普通免許保有
◆失踪場所:福島県原町市
【失踪状況】
高校卒業後、昭和46年4月に叔父の紹介で福島県原町市のガソリンスタンドに勤務。
出勤のため、普段と変わらずいつも持って歩く手提げバックを持ち下宿を出る。
スタンドに出勤していないので叔父から下宿に連絡するが普段通り出ていったとのこと。
北海道の親もとにも連絡があり、両親が下宿先に行き部屋を見ても何も持って出た様子もなく、今にもすぐ帰ってくる状態であった。
当時本人は下宿住まいで、叔父の紹介で勤めていたガソリンスタンドまで歩いて通勤していた。
■福島県警HP
http://www.police.pref.fukushima.jp/《特定失踪者・前上昌輝さんについて》
◆氏名:前上 昌輝
(まえがみまさてる)
(Masateru Maegami)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年10月22日
◆生年月日:昭和32(1957)年7月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:20歳
◆当時の住所:京都市左京区北白川
◆当時の身分:大学受験準備中のため無職。直前まで北海道富良野の牧場で働く。
◆身長:173cm
◆特徴:
1)筋肉質の体格
2)大けがのため左目がやや小さい
3)絵画、書道が得意
4)写真に興味がある
◆失踪場所:北海道旭川駅
【失踪状況】
高校卒業後、美大を志望して東京で受験するも失敗。
1浪して地元京都を中心に受験するが再び失敗した。「人生修業のために北海道に行きたい」と言って、4月に京都の自宅を出発し、2ヶ月ほど横浜で当面の資金を稼いで、母に「お金が貯まったので、いよいよ北海道へ行く」と電話をしてきた。
北海道に渡り、道庁で紹介を受けた富良野の牧場で4ヶ月ほど働く。
8月下旬に母に電話で「大学受験を決意した」と話し、9月20日に牧場を退職。
国鉄旭川駅前のホテルに2泊宿泊し、22日午前10時頃、旭川駅の荷物一時預りにザックを預け、「3日間お願いします」と言って出かけたのが最後で行方不明になった。
北海道富良野の牧場を退職し、京都の実家に「お世話になった人たちに会って、京都に帰る」と連絡していたが、以来消息を絶つ。
後に旭川駅の荷物一時預かりにザックを預けていたことが分かる。
同年11月初旬、実家に男性の低い声で「前上昌輝の家の者か」と電話がある。
電話に出た母親が「昌輝のことを知っているお方ですか」と数回叫んだが、それには答えず「また電話する」と言って電話を切った。
以来手がかりは全くない。
平成16年9月28日、京都府警に告発状提出。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp■京都府警HP
http://www.pref.kyoto.jp/fukei/■神奈川県警HP
http://www.police.pref.kanagawa.jp/■前上昌輝さんの同窓生によるHP
http://www.ja3yaq.ampr.org/%7Ejh3txp/kitashirakawa/maegami.html《特定失踪者・本多茂樹さんについて》
◆氏名:本多 茂樹
(ほんだしげき)
(Shigeki Honda)
◆失踪年月日:昭和55(1980)年5月21日
◆生年月日:昭和28(1953)年8月21日
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆当時の住所:北海道札幌市豊平区
◆当時の身分:電話に関する仕事
◆身長:160cm
◆特徴:
1)痩せ型
2)色白
3)目が大きい
◆失踪場所:青函連絡船。函館港から青森港にかけて
【失踪状況】
就職のため東京へ行く途中、青函連絡船の中に荷物だけ残し行方不明。
北海道警は自殺であろうといい、家族もそうかと思い仏事も済ませたところ、札幌市の実家や兄弟のところに、約8ヶ月間、度々無言電話がかかってきた。
■青森県警HP
http://www.police.pref.aomori.jp/《特定失踪者・長尾直子さんについて》
◆氏名:長尾 直子
(ながおなおこ)
(Naoko Nagao)
◆失踪年月日:昭和56(1981)年3月16日
◆生年月日:昭和35(1960)年10月25日
◆性別:女性
◆当時の年齢:20歳
◆当時の住所:北海道札幌市北区
◆当時の身分:自動車学校事務員
◆身長:155cm
◆体重:45kg
◆血液型:O型
◆特徴:
1)コンタクトレンズ使用
2)前歯2本ほど差し歯
◆失踪場所:北海道札幌市北区篠路
【失踪状況】
いつも通り出勤したがすぐに傘を取りに引き返してきた。
会社に着いたと思われる頃会社から出勤していないと連絡。
普段は会社から日に1、2回電話してくる。
夜になっても連絡なし、心当たりもあたったが分からず。
身の回りのものは手つかずで、預金を下ろしたりもしていない。
《特定失踪者・野田福美さんについて》
◆氏名:野田 福美
(のだふくみ)
(Fukumi Noda)
◆失踪年月日:昭和57(1982)年10月28日
◆生年月日:昭和9(1934)年11月5日
◆性別:男
◆当時の年齢:47歳
◆当時の住所:島根県美保関町
◆当時の身分:漁船員(無線通信士)
◆身長:161cm
◆体重:55kg
◆特徴:
1)喫煙する
2)酒は少々
3)歩き方外歩き(蟹股?)
◆失踪場所:北海道礼文島沖
【失踪状況】
島根県美保関の漁港を出港。
失踪当日は礼文島でイカ漁をしていた。
海は穏やかで無線にて僚船と10時半頃まで交信のあと消息不明。
長靴、合羽等は身に着けていない。
サンダルが片方ずつ違うものが残り、操業状態のまま発見される。
10艘の船団を率いる団長。
翌日は晴天で、海保のヘリや、礼文島の人、僚船が丸一日捜索して見つからず。
電話で「漁は終わりにして帰路に着く」と告げていた。
お土産、燃料代の精算も袋に入れて船に残されていた。
10艘の船団を率いる団長として5年目、何度と無く時化に遭遇して人命救助の経験もある。
■島根県警HP
http://www.pref.shimane.lg.jp/police/《特定失踪者・三上慎一郎さんについて》
◆氏名:三上 慎一郎
(みかみしんいちろう)
(Shin-ichirou Mikami)
◆失踪年月日:昭和58(1983)年11月20日
◆生年月日:昭和40(1965)年4月4日
◆性別:男
◆当時の年齢:18歳
◆当時の身分:高校3年生
◆当時の住所:北海道旭川市
◆身長:168cm
◆体重:72kg~73kg
◆特徴:
1)小学校時代はスポーツ野球少年団に加入
2)失踪の年の8月には地元の相撲大会にも参加している
3)切手収集をしていた
◆失踪場所:北海道旭川市
【失踪状況】
朝、「図書館に行く」と言って自宅前のバス停からバスに乗って出かけたまま。
当日は図書館は休みだった。
そわそわしていて様子が変だったので部屋に行ったら書き置き(自分白書)があった。
バスに乗る前母の顔をじっと見ていたらしい。
前の晩に携帯ラジオと母親の腕時計を貸してくれと言ったので貸した。
その日の朝、寒いから厚手の手袋が欲しいと言ったので薄いオレンジ色の軍手を渡した。
バスに乗った姿は見られているが降りたのを見た人はいない。
失踪前に無断外泊をしたことはない。
スポーツが好きで失踪する3ヶ月前にも相撲大会に出たりしていた。
《特定失踪者・紺屋淑子さんについて》
◆氏名:紺屋 淑子
(こんやよしこ)
(Yoshiko Konya)
◆失踪年月日:昭和60(1985)年9月16日
◆生年月日:昭和37(1962)年2月16日
◆性別:女性
◆当時の年齢:23歳
◆当時の身分:理容・美容専門学校学生
◆当時の住所:北海道釧路市鶴ヶ岱の学生アパート
◆身長:157cm
◆体重:52kg
◆特徴:
1)中肉
2)頭髪パーマ
3)近視で眼鏡使用
4)ビートルズのファンでレコードをたくさん持っていた
◆失踪場所:北海道釧路市。当時居住していたアパート
【失踪状況】
9月16日、当時見習いとして働いていた勤務先に「仕事を休む」と電話連絡あり。
9月18日、学校から家族に欠席の連絡があり失踪が分かった。
2日後釧路警察署に届け捜査行われる。
室内に他人が入った形跡なし。
洗濯物は干してあった。
眼鏡もそのままなので、16日夕方に近くの大衆浴場へ行きその途中で拉致された可能性もある。
失踪したときの貯金には全く手が付けられていない。
《特定失踪者・木本佳紀さんについて》
◆氏名:木本 佳紀
(きもとよしのり)
(Yoshinori Kimoto)
◆失踪年月日:昭和60(1985)年10月1日
◆生年月日:昭和38(1963)年5月18日
◆性別:男
◆当時の年齢:22歳
◆当時の住所:青森県弘前市
◆当時の身分:大学3年生
◆身長:176cm
◆体重:65kg
◆血液型:A型
◆視力:右0.06、左0.05で眼鏡使用
◆特徴:
1)右手首に約1cmの火傷の跡がありケロイド状になっている
2)首の後ろに直径約3mmの大きなほくろがある
3)多少痩せ型
4)髪質は直毛で太い
5)眉も太い
6)近視と乱視で眼鏡使用
7)上下の歯が並んでいる風で噛み合わせは悪い
8)顎は逆三角形型
9)喫煙する
◆失踪場所:青森県弘前市
【失踪状況】
青森県弘前市内のアパートから失踪。
アパートには10月1日付の新聞が室内に残り、2日以降の新聞は部屋の外に置かれたまま。
机の引き出しには免許証、預金通帳、キャッシュカード。
旅行鞄、衣類はそのまま。
8月に北海道の実家に帰省し、9月1日に弘前に戻った。
■青森県警HP
http://www.police.pref.aomori.jp/《特定失踪者・高橋勝彦さんについて》
◆氏名:高橋 勝彦
(たかはしかつひこ)
(Katsuhiko Takahashi)
◆失踪年月日:昭和62(1987)年1月22日
◆生年月日:昭和34(1959)年7月5日
◆性別:男
◆当時の年齢:27歳
◆当時の住所:北海道釧路市の学校の教員住宅
◆当時の身分:聾学校教員
◆身長:170cm
◆体重:65kg
◆血液型:A型
◆特徴:
1)痩せ型
2)額の真ん中に3cm程度の傷がある
3)乱視。眼鏡は持っていたがかけていなかった
◆失踪場所:北海道釧路市の学校の教員住宅
【失踪状況】
前日(1月21日)夜12時まで釧路市内にある勤務先の学校の同僚と一緒にいて、午後10~12時に一緒にテレビでアイスホッケーを見ていた。
その後帰宅したが、翌朝出勤しなかった。
学校には21日に支給された給料袋がそのまま置いてあった。
同僚の先生たちは飲みに行って事件にでも巻き込まれたのかと思い写真を持って回って調べたがまったくそれらしい情報はなかった。
車を買ったばかりで借金はあったが明るくきちんとした性格で、それでいなくなるようなことはありえないとのこと。
車は校宅に置いたままであった。
《警視庁公開特定失踪者・小住健藏さんについて》
※西新井事件の被害者
◆氏名:小住 健藏
(こすみけんぞう)
(Kenzou Kosumi)
◆当時の年齢:27歳(行方不明当時)
◆当時の住所:東京都板橋区
◆当時の職業:工員
◆身長:160cmくらい
【失踪状況】
昭和36年以降、行方不明になっています。
「西新井事件」は、秋田県下の海岸から密入国した北朝鮮工作員チェ・スンチョルが、小熊和也さん、小住健藏さんの2人の実在する日本人に成り代わり、対韓国工作、極東におけるスパイ拠点の構築、日本の防衛力等に関する情報収集等を行っていた事件です。
警視庁は、その後の捜査により、自称小住健藏こと通称チェ・スンチョルを免状等不実記載同行使違反の容疑等で逮捕状の発付を得て国際手配の手続を行うとともに、警察庁を通じて、北朝鮮に対し身柄の引き渡しを要求しています。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp■秋田県警HP
http://www.police.pref.akita.jp/■北海道警HP
http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/ ◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)
(拉致被害時28歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html■救う会兵庫facebook
http://www.facebook.com/sukuukai078[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]
Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)
Disappeared after departing Japan for Europe.
The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.
Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.
【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.